ドナルド・キーン・センター柏崎へ

2024年8月12日

柏崎 北区

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2024年5月4日。清流庵から東の輪に戻り、「ドナルド・キーン・センター柏崎」で横井庄一氏の企画展を見ました。日本文学研究の第一人者であるドナルド・キーン氏と新潟・柏崎に一体どんな関係があるのか、グアム島のジャングルに28年間も潜んでいた横井庄一氏との関係は何なのか、ちょっと興味をひかれました。

入館すると、まずドナルド・キーン氏の解説ビデオが流れます。同氏が日本国籍を取得した際の「鬼怒鳴門(キーン・ドナルド)」という当て字は記憶に残っていました(笑)。キーン氏は長く東京・北区の西ヶ原に住んでいたそうです(私も北区民です)。うちの息子は北区の大学図書館か何かのバイトでキーン氏の書籍を整理したと言っていました。

さて、柏崎は2007年の「中越沖地震」で大きな被害を受けました(うちの田塚の実家も半壊になりました)。キーン氏は復興支援のため、副題(角書き)に「柏崎」と入った江戸時代の古浄瑠璃「越後國・柏崎 弘知法印御伝記(えちごのくに・かしわざき こうちほういんごでんき)」を復活上演することを提案、2009年に柏崎で300年ぶりの上演が実現しました。こうした縁から柏崎のブルボン吉田記念財団がドナルド・キーン・センター柏崎を設立したそうです(関連サイト)。

キーン氏はもともとニューヨークと東京に自宅があり、半年ごとに交互に暮らしていましたが、2011年3月11日の「東日本大震災」を機に、日本に永住することを決めました。ニューヨークの自宅にあった家具や書籍などは、ドナルド・キーン・センター柏崎で復元展示されています。

ちなみに、ドナルド・キーン・センター柏崎の支援母体である菓子メーカーのブルボンは、1923年の「関東大震災」でビスケットの供給が止まった際、柏崎の菓子店「最上屋(もがみや)」の店主が地方でのビスケット生産の必要性を思いついたのが創業のきっかけなのだとか。なんとも「震災」が深く関わっているんですね…。

館内にはキーン氏と親交のあった作家なども紹介されていました。

さて、横井庄一氏といえば、太平洋戦争が終わってからも、ずっとグアム島のジャングルに隠れ続けていた人物として有名です。一方、横井氏を取材して本を執筆したジャーナリストの高橋義樹氏は、太平洋戦争の際に横井氏と同じくグアム島でジャングルに隠れていたものの、見つかって捕虜になり、ハワイの収容所に送られました。そこで出会ったのが、日本語通訳の尋問官として従軍していたキーン氏だったのだそうです。高橋氏とキーン氏は終戦後、親交を深めたということで、高橋氏が執筆した横井氏に関する本などが紹介されていました。

それにしても、地面に穴を掘って28年間もよく暮らしたなあと…。横井氏は「かくれんぼが得意だった」と語っているそうですが、うーん、ちょっとレベルが違う感じがします。


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